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2021/01/21平戸オランダ商館と出島の関係

艦島デジタルミュウージアムのトシ(政次)です。

 

皆さんお元気でお過ごしでしょうか。

今回は長崎に出島が造られた経緯をテーマに

実際に現場に行ってまいりました。

まず、徳川幕府の基本姿勢は簡単に言いますと、外国から輸入品は欲しいが、キリスト教は広めたくない。

 トシ

出島は寛永13年(1634年)幕府と25名の長崎豪商とで貿易にのみ特化した地区として建造されました。

 

出島ができる前のお話ですが

ポルトガル商人は出島が出来てわずか3年で追放されています。
これは平戸のオランダ商館が大きく関係しています。
1634年、長崎奉行はオランダ商館長クーケバッケルに対して、
ポルトガルと同じように供給が出来か否かを問いただしたところポルトガルの3倍の供給量を約束した。

平戸オランダ商館
対岸には平戸城

トシ
オランダ井戸は今でも真水が湧き出ています。

とし
オランダ塀

トシ

オランダ塀


とし

オランダ商館に到着。

トシ


出島をポルトガル人追放の後、1641年に平戸のオランダ商館から出島へオランダ人が移り住んできました。

平戸オランダ商館は1609年から1641年の約32年間の役割をひとまず終えました。

とし



トシ
ウイリアム・アダムス【三浦按針】の乗った リーフデ号



トシ


んん・・それでもなんか理由としてはスッキリしませんね。

当時、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスは海の覇権争いでしのぎを削っている時代でした。
そしてオランダ東インド会社は国から交戦権も認められており海上でスペイン船やポルトガル船と交戦になることは日常茶飯事でした。
むしろ後発のオランダがポルトガルを襲うことが多くありました。

オランダはオランダ東インド会社(VOC)の広大な情報網を使い、
「ポルトガルがまずキリスト教の布教で国に入り込み、次に武力で植民地にする」という情報を東南アジア各国に吹聴して回りこれを徳川家光らにリークした。

オランダ(VOC)にまんまと乗せられた説。


トシ

それでは次の仮設、

ポルトガルとスペインはカトリックですがオランダはプロテスタントです。

プロテスタントに比べてカトリックは戒律が厳しく布教活動にも積極的だった。オランダに乗り換えた。
そんなことないよという方もおられると思いますが、あくまでも私の主観です。

もう一つ三浦按針(ウイリアム・アダムス)の存在1600年、関ヶ原の戦いの半年前、今の大分県臼杵(うすき)黒島にオランダ船リーフデ号が

漂着した。リーフデ号にはイギリス人航海士の(ウイリアム・アダムス)三浦按針が乗っていた。

按針は徳川家康に気に入られ、領地も与えられ妻ももらった。

外交顧問役も務め日本で初めての西洋式帆船を伊東で二艘も建造した。
しかし1616年に家康が亡くなると。次第に家忠、家光に疎まれるようになり。

按針は平戸のイギリス商館やオランダ商館で勤めたのちに1620年55歳、平戸で病死した。

このようにオランダやイギリスが通商を許されたのは三浦按針の力が大きかったと考えられる。

生前徳川家康の三浦按針に対する信頼は絶大でオランダ船でやってきた三浦杏針(ウイリアム・アダムス)の口添えも
大きく影響したのではないかと思います。

とし 

 

それではそろそろ
次のブログでお会いしましょう。

軍艦島デジタルミュージアムとしでした。 

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