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端島病院
端島病院
端島病院
端島病院
2019/03/30
端島病院
端島病院
端島病院
端島病院
皆さん、もう間もなく
3月も終わりますね。
そして、4月には
新しい元号が
発表されますね!
さて、どんな元号に
なるのでしょうね?
しかし、平成と言うと
あくまでも私の主観ですが
災害が多かった様に思えて
ならなかったので
ちょっと
調べてみました。
地震だけでも
20回以上あり、風水害や
台風なども入れると
平成の30年間に40回以上も
日本だけで災害が
起きていました!
新しい元号の時代には
災害が起きないように
願っている
ナビゲーター木下です。
さて今回は、
前回のブログでご案内した
仙台青陵中学校の皆さんから
受けた取材時の
質問内容をご紹介
したいと思います。
ツアーに参加される
お客様からも良く質問
されるのが
「電気は何処から?
とかお水は?」など
ライフラインに纏わる
質問が多いです。
ライフラインに纏わる
お話は、ミュージアムの
2階にある「軍艦島の謎」という
コンテンツを見て
頂ければよ~くわかるように
なっていますので
是非ミュージアムへ足を
お運びください。
なので今回は、
あまり知られてない
端島病院のことについて
お話してみたいと思います。
勿論、質問の中にも
ありましたよ!
ツアーのお客様に端島にも
「病院があったんですよ」と言うと
「え!!この狭い軍艦島に
病院があったんですか?」と
驚かれる方が多いんですよ!
しかも、隔離病棟まで
あったんですよ・・・
この端島病院はなんと!
大正10年には木造で
建てられ・・・・
昭和16年に増築され
ました。
そして、昭和32年の
学校の大火により
隣接していた病院は、
学校同様に焼失して
しまいました。
その後、昭和33年に
鉄筋コンクリート4階建てに
建て替えられました。
病院の中には、手術室や
レントゲン室、それに
産婦人科や眼科等々
ほぼ、総合病院としての
機能を備えられていた
病院でした。
勿論、隔離病棟も学校の
大火で病院と同様に焼失
しましたが、
建て替えら
れる時に病院よりも
先に建て替えられた様
なんです。
それと言うのも
この端島は昭和24年頃から
島内で赤痢が流行してしまい、
患者の数が毎年の様に増え続け
県内ワーストワンの記録を
打ち出すという
不名誉なことが
起きてしまったからなんです!
しかし、全島挙げての赤痢
撲滅運動を行い
昭和29年には
終息したそうなんですね。
実は私もこの隔離病棟に
保菌者ということで
隔離されたことがあります。
それは私が5歳の時だったと
記憶しているんですが、
体は病棟内を走り回るほど
元気なのに、3週間程隔離され
出してもらえませんでした。
両親も早く出してくださいと
お願いしたそうなのですが
昭和29年に終息したと
思われていた赤痢保菌者が
出た訳ですから
病院側も
慎重になったんでしょうね。
私は、外に出たくて
両親に八つ当たり
していたそうです。
端島病院のお話
如何だったでしょうか?
また次回をお楽しみに!!
ナビゲーター木下でした。
皆さん、もう間もなく
3月も終わりますね。
そして、4月には
新しい元号が
発表されますね!
さて、どんな元号に
なるのでしょうね?
しかし、平成と言うと
あくまでも私の主観ですが
災害が多かった様に思えて
ならなかったので
ちょっと
調べてみました。
地震だけでも
20回以上あり、風水害や
台風なども入れると
平成の30年間に40回以上も
日本だけで災害が
起きていました!
新しい元号の時代には
災害が起きないように
願っている
ナビゲーター木下です。
さて今回は、
前回のブログでご案内した
仙台青陵中学校の皆さんから
受けた取材時の
質問内容をご紹介
したいと思います。
ツアーに参加される
お客様からも良く質問
されるのが
「電気は何処から?
とかお水は?」など
ライフラインに纏わる
質問が多いです。
ライフラインに纏わる
お話は、ミュージアムの
2階にある「軍艦島の謎」という
コンテンツを見て
頂ければよ~くわかるように
なっていますので
是非ミュージアムへ足を
お運びください。
なので今回は、
あまり知られてない
端島病院のことについて
お話してみたいと思います。
勿論、質問の中にも
ありましたよ!
ツアーのお客様に端島にも
「病院があったんですよ」と言うと
「え!!この狭い軍艦島に
病院があったんですか?」と
驚かれる方が多いんですよ!
しかも、隔離病棟まで
あったんですよ・・・
この端島病院はなんと!
大正10年には木造で
建てられ・・・・
昭和16年に増築され
ました。
そして、昭和32年の
学校の大火により
隣接していた病院は、
学校同様に焼失して
しまいました。
その後、昭和33年に
鉄筋コンクリート4階建てに
建て替えられました。
病院の中には、手術室や
レントゲン室、それに
産婦人科や眼科等々
ほぼ、総合病院としての
機能を備えられていた
病院でした。
勿論、隔離病棟も学校の
大火で病院と同様に焼失
しましたが、
建て替えら
れる時に病院よりも
先に建て替えられた様
なんです。
それと言うのも
この端島は昭和24年頃から
島内で赤痢が流行してしまい、
患者の数が毎年の様に増え続け
県内ワーストワンの記録を
打ち出すという
不名誉なことが
起きてしまったからなんです!
しかし、全島挙げての赤痢
撲滅運動を行い
昭和29年には
終息したそうなんですね。
実は私もこの隔離病棟に
保菌者ということで
隔離されたことがあります。
それは私が5歳の時だったと
記憶しているんですが、
体は病棟内を走り回るほど
元気なのに、3週間程隔離され
出してもらえませんでした。
両親も早く出してくださいと
お願いしたそうなのですが
昭和29年に終息したと
思われていた赤痢保菌者が
出た訳ですから
病院側も
慎重になったんでしょうね。
私は、外に出たくて
両親に八つ当たり
していたそうです。
端島病院のお話
如何だったでしょうか?
また次回をお楽しみに!!
ナビゲーター木下でした。
皆さん、もう間もなく
3月も終わりますね。
そして、4月には
新しい元号が
発表されますね!
さて、どんな元号に
なるのでしょうね?
しかし、平成と言うと
あくまでも私の主観ですが
災害が多かった様に思えて
ならなかったので
ちょっと
調べてみました。
地震だけでも
20回以上あり、風水害や
台風なども入れると
平成の30年間に40回以上も
日本だけで災害が
起きていました!
新しい元号の時代には
災害が起きないように
願っている
ナビゲーター木下です。
さて今回は、
前回のブログでご案内した
仙台青陵中学校の皆さんから
受けた取材時の
質問内容をご紹介
したいと思います。
ツアーに参加される
お客様からも良く質問
されるのが
「電気は何処から?
とかお水は?」など
ライフラインに纏わる
質問が多いです。
ライフラインに纏わる
お話は、ミュージアムの
2階にある「軍艦島の謎」という
コンテンツを見て
頂ければよ~くわかるように
なっていますので
是非ミュージアムへ足を
お運びください。
なので今回は、
あまり知られてない
端島病院のことについて
お話してみたいと思います。
勿論、質問の中にも
ありましたよ!
ツアーのお客様に端島にも
「病院があったんですよ」と言うと
「え!!この狭い軍艦島に
病院があったんですか?」と
驚かれる方が多いんですよ!
しかも、隔離病棟まで
あったんですよ・・・
この端島病院はなんと!
大正10年には木造で
建てられ・・・・
昭和16年に増築され
ました。
そして、昭和32年の
学校の大火により
隣接していた病院は、
学校同様に焼失して
しまいました。
その後、昭和33年に
鉄筋コンクリート4階建てに
建て替えられました。
病院の中には、手術室や
レントゲン室、それに
産婦人科や眼科等々
ほぼ、総合病院としての
機能を備えられていた
病院でした。
勿論、隔離病棟も学校の
大火で病院と同様に焼失
しましたが、
建て替えら
れる時に病院よりも
先に建て替えられた様
なんです。
それと言うのも
この端島は昭和24年頃から
島内で赤痢が流行してしまい、
患者の数が毎年の様に増え続け
県内ワーストワンの記録を
打ち出すという
不名誉なことが
起きてしまったからなんです!
しかし、全島挙げての赤痢
撲滅運動を行い
昭和29年には
終息したそうなんですね。
実は私もこの隔離病棟に
保菌者ということで
隔離されたことがあります。
それは私が5歳の時だったと
記憶しているんですが、
体は病棟内を走り回るほど
元気なのに、3週間程隔離され
出してもらえませんでした。
両親も早く出してくださいと
お願いしたそうなのですが
昭和29年に終息したと
思われていた赤痢保菌者が
出た訳ですから
病院側も
慎重になったんでしょうね。
私は、外に出たくて
両親に八つ当たり
していたそうです。
端島病院のお話
如何だったでしょうか?
また次回をお楽しみに!!
ナビゲーター木下でした。
皆さん、もう間もなく
3月も終わりますね。
そして、4月には
新しい元号が
発表されますね!
さて、どんな元号に
なるのでしょうね?
しかし、平成と言うと
あくまでも私の主観ですが
災害が多かった様に思えて
ならなかったので
ちょっと
調べてみました。
地震だけでも
20回以上あり、風水害や
台風なども入れると
平成の30年間に40回以上も
日本だけで災害が
起きていました!
新しい元号の時代には
災害が起きないように
願っている
ナビゲーター木下です。
さて今回は、
前回のブログでご案内した
仙台青陵中学校の皆さんから
受けた取材時の
質問内容をご紹介
したいと思います。
ツアーに参加される
お客様からも良く質問
されるのが
「電気は何処から?
とかお水は?」など
ライフラインに纏わる
質問が多いです。
ライフラインに纏わる
お話は、ミュージアムの
2階にある「軍艦島の謎」という
コンテンツを見て
頂ければよ~くわかるように
なっていますので
是非ミュージアムへ足を
お運びください。
なので今回は、
あまり知られてない
端島病院のことについて
お話してみたいと思います。
勿論、質問の中にも
ありましたよ!
ツアーのお客様に端島にも
「病院があったんですよ」と言うと
「え!!この狭い軍艦島に
病院があったんですか?」と
驚かれる方が多いんですよ!
しかも、隔離病棟まで
あったんですよ・・・
この端島病院はなんと!
大正10年には木造で
建てられ・・・・
昭和16年に増築され
ました。
そして、昭和32年の
学校の大火により
隣接していた病院は、
学校同様に焼失して
しまいました。
その後、昭和33年に
鉄筋コンクリート4階建てに
建て替えられました。
病院の中には、手術室や
レントゲン室、それに
産婦人科や眼科等々
ほぼ、総合病院としての
機能を備えられていた
病院でした。
勿論、隔離病棟も学校の
大火で病院と同様に焼失
しましたが、
建て替えら
れる時に病院よりも
先に建て替えられた様
なんです。
それと言うのも
この端島は昭和24年頃から
島内で赤痢が流行してしまい、
患者の数が毎年の様に増え続け
県内ワーストワンの記録を
打ち出すという
不名誉なことが
起きてしまったからなんです!
しかし、全島挙げての赤痢
撲滅運動を行い
昭和29年には
終息したそうなんですね。
実は私もこの隔離病棟に
保菌者ということで
隔離されたことがあります。
それは私が5歳の時だったと
記憶しているんですが、
体は病棟内を走り回るほど
元気なのに、3週間程隔離され
出してもらえませんでした。
両親も早く出してくださいと
お願いしたそうなのですが
昭和29年に終息したと
思われていた赤痢保菌者が
出た訳ですから
病院側も
慎重になったんでしょうね。
私は、外に出たくて
両親に八つ当たり
していたそうです。
端島病院のお話
如何だったでしょうか?
また次回をお楽しみに!!
ナビゲーター木下でした。
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